トライフォース柔術アカデミー横浜blog

横浜駅きた西口徒歩五分のブラジリアン柔術専門道場、トライフォース横浜のブログです。

プロフィール。

茶帯。

茶帯は現在も巻いている帯です。 もう二年ほどになります。 今年の全日本選手権で2位が最高成績です。 昨年のマスターズも2位でした(笑 世界選手権は運良くシードされて 一度勝ってベスト16が最高成績です。 結局青帯・紫帯・茶帯と全てベスト16が最高とな…

紫帯時代。

紫帯時代も基本的には万年2位だった気がします。 ムンジアルでは青帯の頃と同様、 100人位のトーナメントで3回勝ってベスト16が最高成績でした。 会社を辞めてトライフォース五反田で働くようになったのも紫帯の頃でした。 色々な思いは以前に書かせて頂いた…

ムンジアル。

青帯の頃にトライフォース麹町から五反田へ移籍しました。 ムンジアルと呼ばれる世界選手権に出るようになったのも青帯の頃で 軽い気持ちでアメリカまで行って試合をしました。 詳しい試合経過は忘れてしまったのですが 途中でアッサリと諦めて下になり、 一…

青帯。

初めて出た試合は開始早々にシザースイープをバッチリ決め、 ノリノリのままマウントから腕十字に移行。 あっさりと返されて下になり、 20歳くらいの若さ溢れるアタックを ガードで何とか凌ぎ続けたもののアドバンテージ差で負けてしまいました。 今となって…

ボコボコにされても、楽し。

柔術を始めた頃は当然ですが何も出来ず、 毎日ボコボコにされていました。 多少打撃はやっていたのですが 使う筋肉も違うらしく、全身のあちこちが痛くなり 「金払って何やってるんだろ、俺。。。」 と結構真剣に悩んだりもしました。 当時は塾講師として勤…

先生と言われるほどの馬鹿でなし。

若い頃から「先生」などと呼ばれていると勘違いしがちでして、 中国拳法も仕事も「先生」になってしまった僕は 「こりゃまずいな〜。 何か人に頭を下げて習い事をした方がいいな」 と思って30歳になったのを機に習い事を探し始めました。 「美人が多く集まっ…

解体後。

トライフォース横浜の工事を開始して一週間。 天井を抜いた結果、開放感が出ました。 マストな工事ではないので やるかどうか最後まで悩んだのですがやって正解でした。 この後、大家さんのご厚意で新品のエアコンに交換して頂く予定です。 限られたスペース…

塾講師時代。

大学卒業後、中国拳法をやっている間は ずっと塾講師として勤務していました。 意外と性に合っていたらしく、 生徒達の頑張りもあって実績はかなり良かったと思います。 具体的には高校受験で合格者を出したことのない難関校は筑波大附属駒場のみでした。 開…

型と組手。

初めて出た散打の試合は面が薄く、 お互いに何発か打撃を交換した後に 「これはヤベーわ、 素手で殴り合ってるのとあまり変わんねーぞ・・・」 という雰囲気になり、 お互いに間合いを思い切り取ったのを覚えています。 その日は三試合して二勝一分。 最後は…

初体験。

当時、インターネットを通じて知り合った人達と 「推手」 と呼ばれる太極拳の伝統的な組手練習の交流会などをやっていました。 しかし、閉鎖的な中国拳法の世界では他流派との交流自体を良しとしない空気もあり、 僕は最初の流派を辞めてより自由な同流他派…

若気の至り。

当時学んでいた古流柔術の「大東流合気武術」は メインの技が初伝・中伝・奥伝と3つに分かれており それぞれ10本、合計30本の技で構成されていました。 護身術としては非常に良くできた技が多く 結果的にですが、現在のブラジリアン柔術の護身術指導にもと…

武術との出会い。

僕自身が格闘技、というか武術に出会ったのは高校生の頃でした。 当時通っていた高校の先生が 「合気研究会」 という怪しげなネーミングの同好会をやっていて、 ハンドボール同好会を立ち上げた僕達は 足りない人数を補う為に 「部員同士の貸し借りによる水…