青帯の頃にトライフォース麹町から五反田へ移籍しました。
ムンジアルと呼ばれる世界選手権に出るようになったのも青帯の頃で
軽い気持ちでアメリカまで行って試合をしました。
詳しい試合経過は忘れてしまったのですが
途中でアッサリと諦めて下になり、
一回戦で負けてしまいました。
試合が終わった後にナオ先生に
「徹さんからは言い難いと思うんで」
という前置きから、
コッテリと注意してもらったのを今でも覚えています。
有り難かったのと同時に、
僕の諦めの悪い、「シツコイ」スタイルは
今思えばここから始まった様にも思います(笑
2度目のムンジアルに向かう前の試合で優勝、
ムンジアルでは3勝してベスト16(100人くらいのトーナメントなので、3勝してもその程度なのです・・・)。
帰国して紫帯を徹先生に巻いて貰って、
心底嬉しかったです。